台所夜話

食べ物にまつわる夢の話

第四十八夜 梅雨

梅泥棒って、珍しくはない。スイカ泥棒に米泥棒、年中行事のひとつである。

私はその列に名を連ねたくはないので、ここは妻の甘言に乗らず、自重。

実家の畑に遠征して、頃合いのキュウリを四、五本もいでくるが宜しかろう。

妻は勢い、足元の梅の実を蹴り飛ばし、野良犬に吠えられて逆上。肩をいからせ、帰ってしまった。

路上には、潰れた梅が点々と、そして私が、取り残された。

この暗がりの中、足を運ぶのにあたっては、重々気をつけねばなるまいよ。

星一つ出ていない闇夜であるが、行きずりの梅の実が放つ香りにやられてしまう。

まもなく雨が降り出しそうな匂いもそこに混じってくる。

 

第四十七夜 南高梅

たまには妻と、ウォーキングに出かけるか。黄昏時を狙ってね。

誰が誰だか分からないから良いのだと、妻は言うけど。

狭い町だし、面が割れると少々気まずいって事もあるのかも知れんが。

それにしても、日が長くなったな。夜七時半を回っても、個体の識別ができるじゃないか。

暗くなるまで待って、ショパンとリストの区別が付かないレベルに達したら行くぞ。

で、いざ外に出てみたら、意外なことに湿気ってないな。

一応梅雨ってことなんだけど。

まあ何にせよ、歩きやすくていいや。快適、と妻も機嫌よく歩いていたら、突然。

路上に見慣れぬ物体が、三つ四つ、いや、もっと。ピンポン玉がばらまかれているかと思ったら、さにあらず。よくよく見れば、その正体は、「紀州南高梅ではないか」

あけすけに妻は舌打ちをかまし、空き家の庭から伸びる梅の木を睨みつける。

「こんな所に南高梅があってたまるか」

もしそうならば、漬けてやる。

「もしそうならば、盗って来てよ」

第四十六夜 ペペロンチーノ

異変を察知した訳ではないが、いつもより早めに、妻が寝室から這い出して来たぞ。

リッチーブラックモアばりの、ロッククラシックな長髪を、前後左右に激しく振り乱しながら。

「何事かあらむ」

努めて平静に私がただすと、

「かが、かが」と、えらく痰が絡んだ声で妻が、荒ぶる滝のごとき毛髪の奥から、息も絶え絶えにそう答えるに、なるほど「蚊」か、と私は、案外速やかに意を解したのだった。

「昨晩は、ニンニクだらけのペペロンチーノを食べたので、毛穴という毛穴から、常軌を逸した成分が放出されていたのかも知れぬ」

加えてそこに、汗 やら何やら混じり合い、蚊にとって、格好の舞台が出来上がったという訳さ。

「ほざけ」と妻は、下手すりゃその場に痰を吐き捨てる勢いでそう言い放ち、怒りに震える指先でもって、セブンスターに火をつける。

そういや昨夜のペペロンチーノ、細かく刻んだキュウリの糠漬け振りかけたけど、これがまた、玄人好みのロックテイストを存分に味わわせてくれたものだよ。

第四十五夜 ミロ

朝っぱらから金魚売りが近所を回っているなんて、世も末だね。

無駄に甘い食パンには、オリーブオイルを回しがけて、少しはリカバリーするか。

近頃牛乳にミロを混ぜるが、こいつもなかなかに甘ったるいし。

加えてバナナも甘いじゃないか。

朝っぱらから大丈夫なのか、このまま。

全てが甘く腐れてゆくのも定めなら、それはそれで。

この時とばかりに糠床にそっと、ミロの粉末を混ぜ込んでみてはいかがか。

寝床で妻が、リズミカルにイビキをかいているうちに。

第四十四夜 山椒

スーパームーン皆既月食が重なって、あたりはいくぶん、暗くはなったが。

この夜にまさか、釜など抜かれはしないだろうね。

闇に紛れて糠床に、山椒の実をパラパラと。

呪文を唱えつつ妻が、新たに糠に混ぜ込むモノとは。

その山椒の実以外、この位置からはよくわからんな。

何せ皆既月食の真っ只中でもあるわけで。

ときじくのかくのこのみを入れたってことは無いかね。

一か八かって感じでさ。

何せ皆既月食なもんで、そんな伝説の実がひとつ、たまたま台所に転がっていても不思議じゃないって。

第四十三夜 きゅうりの糠漬け

糠漬け始めました。

ある日突然、私の妻が。

以前もそんなことがあったが、いつの間にかやめてしまった。

理由はいったい、何だったかな。飽きて、やめたのかも知れないな。

まあ良い。余計なことは、あえて聞くまい。

なにはともあれ糠床が、家にあるって素敵なことだ。日々の暮らしに新たなリズムが生まれるからね。糠床混ぜっ返してさ。あれって一日一回するんだっけか。

今はきゅうりを漬けているけど、まだまだ角が立った味だ。糠が本領発揮するのはもう少し先と妻は言う。糠とは育ててナンボのもんだが、今回長続きするだろうか。

第四十二夜 酒呑童子

つまみは、なとりの、いかくんとさきいか

酒は、丹後の生酛吟醸

朝まだき、大江山に降りかかる、流星群を眺めつつ、酒呑童子は、独り盃を傾ける。

 

ちょっと悪さをしすぎたのかも知れない。

いよいよ源頼光が、私をやっつけにくるという。

それも仕方のないことと思う一方、何やら話が大きくなりすぎているんじゃないかと、疑いたくもなる今日この頃。

 

普段の私は、たんなる酒飲みのおっさんに過ぎない。

時々、鬼の扮装をして、人里に下り暴れまわるが。

この山に住む者は皆、鬼のコスプレをしてやりたい放題。

私はたんに、くじ引きで、その頭領となっただけの事である。

 

もうすぐ夜明け。

山伏の格好をした頼光が、私を倒しにやってくる。

こんな時、何を食べて迎えれば良いのか。

心残りのないように、最期に何を食べようか。

「マックフライポテトじゃないよな」

酒吞童子は、ため息をつく。