第四十七夜 南高梅
たまには妻と、ウォーキングに出かけるか。黄昏時を狙ってね。
誰が誰だか分からないから良いのだと、妻は言うけど。
狭い町だし、面が割れると少々気まずいって事もあるのかも知れんが。
それにしても、日が長くなったな。夜七時半を回っても、個体の識別ができるじゃないか。
暗くなるまで待って、ショパンとリストの区別が付かないレベルに達したら行くぞ。
で、いざ外に出てみたら、意外なことに湿気ってないな。
一応梅雨ってことなんだけど。
まあ何にせよ、歩きやすくていいや。快適、と妻も機嫌よく歩いていたら、突然。
路上に見慣れぬ物体が、三つ四つ、いや、もっと。ピンポン玉がばらまかれているかと思ったら、さにあらず。よくよく見れば、その正体は、「紀州南高梅ではないか」
あけすけに妻は舌打ちをかまし、空き家の庭から伸びる梅の木を睨みつける。
「こんな所に南高梅があってたまるか」
もしそうならば、漬けてやる。
「もしそうならば、盗って来てよ」
第四十六夜 ペペロンチーノ
異変を察知した訳ではないが、いつもより早めに、妻が寝室から這い出して来たぞ。
リッチーブラックモアばりの、ロッククラシックな長髪を、前後左右に激しく振り乱しながら。
「何事かあらむ」
努めて平静に私がただすと、
「かが、かが」と、えらく痰が絡んだ声で妻が、荒ぶる滝のごとき毛髪の奥から、息も絶え絶えにそう答えるに、なるほど「蚊」か、と私は、案外速やかに意を解したのだった。
「昨晩は、ニンニクだらけのペペロンチーノを食べたので、毛穴という毛穴から、常軌を逸した成分が放出されていたのかも知れぬ」
加えてそこに、汗 やら何やら混じり合い、蚊にとって、格好の舞台が出来上がったという訳さ。
「ほざけ」と妻は、下手すりゃその場に痰を吐き捨てる勢いでそう言い放ち、怒りに震える指先でもって、セブンスターに火をつける。
そういや昨夜のペペロンチーノ、細かく刻んだキュウリの糠漬け振りかけたけど、これがまた、玄人好みのロックテイストを存分に味わわせてくれたものだよ。
第四十三夜 きゅうりの糠漬け
糠漬け始めました。
ある日突然、私の妻が。
以前もそんなことがあったが、いつの間にかやめてしまった。
理由はいったい、何だったかな。飽きて、やめたのかも知れないな。
まあ良い。余計なことは、あえて聞くまい。
なにはともあれ糠床が、家にあるって素敵なことだ。日々の暮らしに新たなリズムが生まれるからね。糠床混ぜっ返してさ。あれって一日一回するんだっけか。
今はきゅうりを漬けているけど、まだまだ角が立った味だ。糠が本領発揮するのはもう少し先と妻は言う。糠とは育ててナンボのもんだが、今回長続きするだろうか。
第四十二夜 酒呑童子
つまみは、なとりの、いかくんとさきいか。
酒は、丹後の生酛吟醸。
朝まだき、大江山に降りかかる、流星群を眺めつつ、酒呑童子は、独り盃を傾ける。
ちょっと悪さをしすぎたのかも知れない。
いよいよ源頼光が、私をやっつけにくるという。
それも仕方のないことと思う一方、何やら話が大きくなりすぎているんじゃないかと、疑いたくもなる今日この頃。
普段の私は、たんなる酒飲みのおっさんに過ぎない。
時々、鬼の扮装をして、人里に下り暴れまわるが。
この山に住む者は皆、鬼のコスプレをしてやりたい放題。
私はたんに、くじ引きで、その頭領となっただけの事である。
もうすぐ夜明け。
山伏の格好をした頼光が、私を倒しにやってくる。
こんな時、何を食べて迎えれば良いのか。
心残りのないように、最期に何を食べようか。
「マックフライポテトじゃないよな」
酒吞童子は、ため息をつく。